優しさって難しい。
今日もあったかい。
そんな日にTSUTAYAに行ってきました。
昨日 テレビで見たペンケースがとても欲しくなりまして。
売っていたものの、色は一色しか置いていなく、未開封。試すことができず残念。
amazonで買います。
あ そーいえば、漫画の新刊出てるかなと覗いてみる。12巻。
棚にたどり着くと、11巻までしかない。
辺りを見回すと、店員さんがいらっしゃる。
聞いてみよう。
「あのーすいません。12巻ありますか?」
すると、
「そこに刺さっているもののみしか置いていません」
そんな答えが返ってくる。
まだ発売していないのかな。Google先生に聞いてみる。
あれ?3月に発売しているじゃない。
売り切れかな?
念のため本の検索マシーンが近くにあったので、検索してみる。
あれ?在庫ありってなっているな。
レシートが発行され、その場所に行ってみる。
あった。。。
ここで悩む。
さっきの店員さんの案内は明らかに不適切である、注意しておくべきか。
ワーカー(労働者)とはいえ、売上があなたのお給料に直接関係ないと考えているとはいえ、
一冊の売上とはいえ、
これは明らかに機会損失です。
TSUTAYAのためには言った方がいい。
あの子のためにも言った方がいい。
でも 言いませんでした。
だって私は優しくないから。自分勝手だから。
自分で気づいて欲しいな。
あなたの致命的なミスを。
でも私は自分で見つけて買ったから、今日のところは損失はゼロ。
明日のために是非。
駅の座るところがなくなっている•••••••
まずはこちらをご覧ください。
わかりますか?
それごと無くしてしまっているパターン。
ここは以前まで座れました。
もちろん、座るところではないです。笑
しかし、疲れたとき、ここに座れることはとても幸せでした。
こんなパターンもあります。
棒をつけることも、なくすことも、
それなりにお金はかかることだと思います。
理由は何なのか?
教えくださいJR。
「お金を貰っているんだから」という言葉の違和感
お金を貰っているんだから。
この言葉が私は嫌いです。
これと似ている言葉が、
仕事なんだから。
どちらも嫌いです。
この言葉の存在している意味はわかります。
生きていくためにお金は必要で、そのお金を貰うために、会社に入れてもらったからには、頑張るのが当然でしょうということであると私は解釈しています。
ほとんどの方は、お金が貰えるということに関して価値を感じすぎていると思います。
もちろん、お金を稼ぐということは本当に大変なことです。雇われて1円稼ぐことは難しくはりませんが、自ら業を起こした人からすれば、それが本当に難しいことだと思います。
そう考えると、業を起こした人が話をする分には説得力は多少出てきますね。
しかし、この言葉をよく使うのはサラリーマンたちです。
自分に対して言うのであれば私は問題はないと思っています。それは当人のモチベーションになるはずですから。
しかし、その言葉を発信はしてはいけないと思っています。だってその言葉を理解できない人もいるから。逆にモチベーションが下がります。
会社にとって利益を出すことは使命です。
利益を出すために、サービスや商品を提供し、顧客から対価である、お金をもらいます。
つまり、会社と顧客に上下関係なんてないんです。お互いに価値を提供しているのですから。
話を戻します。
お金をもらうという対価。
それを労働として提供しているサラリーマン。
この図式ですよね。これだけ見れば問題はありません。
問題なのは、
お金を貰っているんだから。
この言葉の背後にある言葉。
お金を貰っているんだから真面目にやれ。
お金を貰っているんだから忠実になれ。
お金を貰っているんだから会社のために生きろ。
果たしてこの言葉を言う人の仕事を真面目にするとはいったいどんな意味なのでしょうか。おそらく成果は気にしていないのでしょう。会社が求めているのは成果、利益です。
履き違えていませんか?
成果に直結しない、つまらないことを言う人たち、あなたの言葉でやる気をなくしている人は確実にいます。
その結果はどうなるのでしょうか。
駄文失礼しました。それでは!
社会で向き合ってほしい問題 子どもの教育機会
今回は私が取り組んでいる、子どもの教育について書いていきます。
子どもの教育。皆様の中でどういった印象があるでしょうか。
学校?
先生?
学習塾?予備校?
ほとんどの皆様は、「学習」について考えるのかなと私は感じています。
日本の教育というと、やはり大学進学を目指す、受験のための教育がイメージしやすいと思います。私もそう感じていました。
それと同時に学習については、
やるのか?やらないのか?
ただ、それに左右されるもの、唯一努力が結果に結びつくものではないかと考えていました。
私にとって、学習とは勉強すること。ただただ辛いものでした。
しかし、世界を見渡せば学校に行けない子どもも存在し、それにも感謝はしなくてはいけないなと思っていました。
ところが、同じ日本でも学びの機会が不足している現状があります。
私が学習塾の講師だった時の話です。
積極的に学んでいる、声の大きな子どもがいました。学力はいまいちだけど、やる気があって期待していた生徒でした。
秋頃でしょうか、突然辞めます。と話がありました。
え?なんで?
理由が私にはわかりませんでした。
彼の成績は上がり始めていたし、あんなに熱心に学んでいたのに。
理由がわかったのは、保護者への電話。
お金。
子どもには、どうしようもできない大きな問題でした。
お金の関係で学びの機会を得られない子どもはどのくらいいるのでしょうか。
以下はベネッセ総合研究所のデータです。
一目瞭然ですね。年収と学校外教育費は相関関係があります。
このような現状を放っておくリスクを知らない方がほとんどです。知っていたとしても、それは自分に関係ない、親の責任でしょ?自分の子どもはちゃんと育てるし。そんな風に思っている人が多いのではないのでしょうか。
でも日本は少子化です。子どもの価値は相対的に高くなっています。
子どもは日本の未来を、私たちの生活を支えていく宝です。
一人たりとも不必要な子どもなんていないはず。
子どもがいる・いないに関わらず、みんなで向き合って欲しいそんな問題です。
保育園不足問題と共働きと少子化
今話題の保育園問題。保育園不足は深刻ですね。
世帯収入はすでに共働きが前提。そうでないとなかなか生活が厳しい時代になりました。
うーん。でも疑問に思いませんか?
現在の日本は少子化真っ最中。子どもは昔より随分減っているんですよね。
なんででしょう?
私はやっぱり共働きが増えたからだと思っています。
第1-3-17図 共働き等世帯数の推移 | 内閣府男女共同参画局
内閣府の指標を見てみると、平成8年から共働き世帯が専業主婦世帯を追い抜き、差はジリジリ広がっています。
母(父)が働く ⇨ 子どもの面倒を見れなくなる ⇨ 保育園が必要
この図式が成立しますよね。
まあ、核家族の増加なども要因かもしれませんが、やっぱり共働き。
労働力人口が減少し、それぞれの社会進出が必要な時代になっているんですね。
私はあんまり赤ちゃんの頃から保育園に預けるということに違和感を覚えますが、生きていくために仕方ないのでしょうか。
赤ちゃんのときくらい、一緒にいてあげてほしい。そんな風に思います。
就職活動の時期。電車で聞いた女子大生の会話
ある電車内の会話に耳をすます。
「私車に興味があるんです。」
ふむふむ。
「大学は東京で、満員電車通勤は嫌なんで、車通勤となると地元に帰って働きたいなと思うんです。」
まぁ人によって優先事項違うもんね。
「エントリシートも書かなきゃだし。」
うん、そーだよね。
「志望理由って難しくないですか」
ん?どうゆうこと。じゃあなんで受けるの?
「インターンに行って、3月末に一次選考があるんです。筆記なんです。」
へーそーなんだ。
「〇〇銀行と〇〇銀行のインターンです。有利にはならないみたいです。」
まぁ 有利にも不利にもはなってるけどね。
あなたの情報が他の人よりは正確になっているから。
「どーしよ、不安だよね。」
まぁ そーだよね。いい経験だよ。
起業ブームやベンチャーブームの中、就職活動の考え方や安定志向なところとか、世間一般について言えば、時代は変わっていないんですね。
もっと学校で教えなくてはいけないことありそう。
もっと学生の視野を広げなきゃでしょ!